3.11そのとき茨城県は

茨城のニュース

2020年3月11日を迎えて、東日本大震災から9年となりました。

被災地を中心に震災の発生した午後2時46分には各地で黙とうがささげられました。

この日を迎えると震災当時のまわりの状況をなにも見なくても思い出される人も多いかと思いますし、現在なお”元通りの生活”に戻れていない人も数多くいます。

そんな100年に一度あるかないかの大災害時に、茨城県ではどのようになっていたのかを直接見た光景をお話していきたいと思います。

おもにわたしの体験談になりますので、その点あしからずご覧ください。

目次

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地震速報から地震発生まで

2011年3月11日は金曜日でした。

そのため地震が発生した午後の時間帯は”今週、もう一仕事でおわる”という雰囲気になっていて実際にそのような状況になっていました。

そしたら職場に地震速報が放送されました。

まもなく本当に揺れ出したので「すげーな」と思いながらも地震そのものに対しては”軽視”していました。
その直後に体験したことのないような揺れに見舞われ、建物の中にいたわたしは停電によって視界を奪われ、揺れによって歩くことが困難な状態になってしまいました。

ただ建物が崩壊することはなかったため、けがを負うことはありませんでした。

帰宅困難

後に「東日本大震災」と呼ばれる大地震を体験したわたしは、まず家族のまつ自宅に帰ろうとしました。

ところどころの道路が陥没したり隆起したりして通行不能になっていたり、さらには停電による信号の停止があったこともあり道路状況は渋滞をきわめていました。

そのせいで通れる道を探りながらの帰宅になりましたが、その間にも震度5クラスの余震が頻繁におこっていました。
ブロック塀のそばや歩道橋の下で停車したときに余震がきてしまったときには、ほんとうに恐怖を感じました。

途中運転に疲れて休もうにも道路上で休むわけにもいかず、駆け込んだボウリング場の駐車場で仮眠を取ったりもしました。

そんなこんなで普通であれば”かかっても”1時間半あれば着く”帰宅路を、11時間ほどかけて帰りました。

建物の倒壊は少なかった

東日本大震災での茨城県の住宅棟の倒壊状況は、揺れによるものは少なかったように思います。

ただ壁が曲がってしまって壁紙がはがれかけたり、屋根瓦が落ちてしまったりといった被害はほとんどの家屋で発生していました。

またブロック塀は崩れ落ちてしまうものも多くありました。

さらに津波の被害が大きかった大洗町は、津波によって海水が浸入してしまった建物が多くあり復旧に時間がかかりました。
大洗のアウトレットの営業再開や、大洗町内の信号の復帰にはたくさんの時間を要しました。

食糧難

東日本大震災によって食料品の販売店もなかなか営業再開のめどが立たず、がんばってお店の在庫を販売しているお店には長い行列がみられ、もちろん積極的に参加しました。

ですがそうはいっても缶詰やソーセージなど、冷蔵の必要がなく保存が利くものを手に入れることが”やっと”の状態でした。

ガソリンがない

食品に限らず、物流がマヒしてしまっていたので燃料についても品薄の状態になりました。

ガソリンスタンドがなかなか営業できず、かりに営業できてもガソリンの入荷のめどが立たないので「一台10リッター」などの購入制限がなされていました。
それでもガソリンを手に入れることができればまだいいほうで、並んでもガソリンにたどり着けないということもザラにありました。

しかしハイオクガソリンに関しては、わりと入れてくれるガソリンスタンドがありました。

また当初は水戸市などのガソリンスタンドでの給油を試みていましたが、意外に郊外のガソリンスタンドのほうが競争率も少なく給油ができることが多かったように記憶しています。

地面の変質

東日本大震災によって津波が到達した地域の被害は大きなものがありました。

茨城県内で津波の被害が大きかった地域のひとつに大洗町がありますが、アウトレットのあったあたりの海抜が低いために信号機の復旧が大幅に遅れたりコンビニエンスストアが営業再開できないままそのまま閉店してしまったりしました。

また津波の被害が少なくても鹿島地域では液状化現象がひどく被害が大きくなってしまいました。

そして、それらの水害がなくても地面の凹凸がひどくできてしまったり地割れが発生して通れなくなったり通りづらくなってしまったりしています。

そこから復旧もしましたが国道6号以外の道路は依然としてデコボコしていて車で走行して不快感を感じる箇所が2020年現在でも多数存在しますし、高低差が変わってしまったことによって雨が降ったときにすぐに水たまりになったりして冠水しやすくなってしまったところもたくさんあります。

まとめ

東日本大震災はたしかに東北地方の被害が甚大で、それに比べれば茨城県の被害は大きくない世に思われがちですが、そうはいっても茨城県の被害もかなりのものです。

また茨城県でも今なお東日本大震災の”爪痕”が残っているので、そういった事実を多くの人に知っていただきたいとも思います。

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